2008/08/01

法隆寺まとめ

法隆寺の不思議

  • 太子によって創建時→Aクラス
  • 天智9年焼失後再建→B Cクラス
    • 再建時には、法隆寺の領地の収入やたくさんの人の協力があった
      • 朝廷が大々的に再建した訳じゃない
      • でも今まで残ってる
      • すごい

やりくり上手さ

  • 明治10年:そろそろ立て直さないと!でも、お金ない!
    • とった策
    • 使い道
      • 8000円→10000円分の公債
        • 年利600円
      • 残り2000円で伽藍の修理

修理、保存の歴史

607年
太子によって創建
670年
火事?(日本書紀)
693年
少なくとも法要ができるくらい回復
708〜715の間
完全復興
739年
東院創立 (話の流れ:行信→孝謙天皇→藤原戻前)
859年
東院修理 (道詮)
925年
講堂、北室、鐘楼焼失
982年
金堂から仏像が5点盗まれる
989年
風で上御堂が倒れる
990年
講堂復興
1050年
西円堂が倒れる
1031年
南大門建立
1078年
橘寺(太子ゆかりの寺)から仏49体を金堂に移す。
このころから、金堂が主役をはる
10世紀後半から、
11世紀のはじめ
金堂、五重塔、鐘楼、夢殿復興
1219年
舎利殿修造
1230年
夢殿修理(同じ頃、東院の鐘楼、四脚門造立
1231年
中門を礼堂へ
1036年
回廊修理
1050年
西円堂修理
1249年
南大門など諸堂の大修理
1269年
三経院建立
1284年
聖霊院建立
1318年
上御堂修理

このから今の伽藍のような姿になった
1435年
南大門焼失、修理
法隆寺の学侶衆(学問)vs堂方衆(行法)のせい
1450,1459,1494
こまごまとした修理を行った
1574年
信長により、「そんなにけんかするなら」と、東寺、西寺に分けられる
1598年
いろいろ修理
1623年
金光院、律学院が焼失
1683年
西大門焼失
1692,1707年
大修理
1902年
中門の修理
1907年
いろいろ修理
1920
昭和の大修理

修理しっぱなし!!

百万塔

  • 木造の小塔
  • 孝謙天皇が作らせた
  • 文字どうり100万個あった
  • いろんなお寺に奉納
    • 東大寺とかでは「小塔院」を作ってそこに奉納した
  • 明治時点では法隆寺にしかなかった

藤ノ木古墳の被葬者

  • 聖徳太子は知ってる
  • 崇峻天皇じゃない?
  • 釈迦三尊像台座裏の墨書に「相見方陵面楽識心陵了時者」
    • 日本最古の木面墨書

捨てることを知らない寺

  • 壊れたものでも取っておく
  • なんでも取っておく
  • ずっと取っておく

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